ゴミはリサイクルすれば資源になります。
『勿体ない』という言葉は日本にしかありません。
経済的な観点から見れば、今は何でも捨てて何でも新しく買う方が良いという考えもあります。
でもやっぱり使えるものは最後まで使い、できるだけ物は大切にしたいですよね。
こういう考えは、貧しい時代ならあって当然だとは思いますが、物が溢れている時代、或いは裕福な人であっても日本人なら持っていると思います。
さてそれはどうしてだろうかと考えた時、神社を見れば少し分かる気がします。
神社では今でも、リサイクルや勿体ない精神とは違った形で、それが行われているのです。
全くこの話とは関係がありませんが、ここに一枚の写真をアップします。{笑}
手前にあるお供え物を置く台でしょうか、鳥居の形をしていますね。
ちょっとこれが珍しくて、『鳥居の形をしたお供え台』で検索してみました。
すると出てきた記事が、『古くなった鳥居の木材を使ってお供え台を作る』というものでした。
そこで思ったわけです。
そういえばこういう話が神社には多いのです。
堀川戎神社には、鳥居で造った福興戎像がありますね。
他にも震災で壊れた鳥居の石を石碑にしている所もありました。
色々と壊れてしまったものを別の用途で再利用している神社も見かけます。
これって日本人の精神そのものではないでしょうか。
壊れたら別の用途で再利用する、或いは加工しなおして新たな新しいものとして使うわけです。
神道の精神は『全てに神が宿る』というものです。
ですから、そう簡単に物は捨てられないのです。
最後まで徹底的に使うのです。
そういう考えがあるから、日本人は神社に学び『勿体ない』精神が形成されてきたのではないでしょうか。
いや、違いますね。
逆ですね。
そもそも神社は、日本人の文化から生まれたものです。
日本人の考え方そのものが神道と言っていいでしょう。
全てのものを大切にしないと生きていけなかった時代、大切にする事で生きられ、それを神様に感謝していたのです。
今は消費社会でドンドン消費する事が良しとされる時代です。
でもそうではない部分ももちろんあります。
枯渇性資源の辺りですね。
石油は神様からの贈り物で大切にしなければなりません。
コストがかかるからと言って無駄にしていいものではないのです。
お金とは労力です。
労力を惜しまず、資源を大切にしてきた日本人の心を取り戻す事が、もしかしたら今必要なのではないかと、神社から、いや昔の人から伝えられている気になりますね。
神社は、昔の人の教えを記憶している場所です。
全てが現代に当てはまるものではないかもしれませんが、神社を訪れたら何か感じるものがあるかもしれません。
考えるきっかけを作る為にも、時々神社に参拝するのは必要なのではないかと思います。