狛犬と獅子の違いは、以前にも色々と書きました。
結局結論としては、角の有無でしか分からないとなったわけですが、今その角のある狛犬が減っています。
写真は野里住吉神社の狛犬ですが、角はもうほとんどありません。
進化すると不要なものは消えていくわけで、人間だって尾骨が尾が有った時の名残として残っていますが、ドンドン無くなってきたわけです。
だから狛犬にも、角はもう必要が無くなったという事なのかもしれません。
獅子はそのままでも霊力が強く、その証拠に毛が渦を巻いています。
狛犬はそこまで霊力がないので、角に力があると言われていました。
でもこの写真の石像を見ても、毛が渦を巻いていますね。
つまり狛犬も獅子と同様に強くなった、或いはもう獅子そのものになったから角はいらなくなったという事なのではないでしょうか。
でもそもそも何故、獅子が二体で中国から入ってきたのに、日本では一体が弱くなってしまったのでしょうか。
雌雄という話から分けたとも考えられますし、足手まといがいた方が強くなるって事なのかもしれません。
よりしっかりとした働きをする為に、役割分担した可能性もあります。
色々考えられますが、私は別の意味がここにあったのだと感じます。
今角が無くなる方向に進んでいるというのは、おそらくそうした方が良いからですよね。
だから角を付けた当時も、誰かにとってそれが良かったはずなのです。
『角が付く=弱くなる』わけですから、やはりそれを普通に国民が望むのは考えられません。
今でもそうですね。
自衛隊が弱い方が良いという思惑は、主に海外の国の意思です。
日本としては本当は強い方がいいのです。
でもそれと逆行する場合は、おそらく海外の思惑がそこにはあったと思われます。
支那は、常に自分達が地域のナンバーワンであり、日本の事は差別してきました。
その辺りの思惑が、日本で狛犬というものを生まれさせたのではないでしょうか。
犬というのは、悪い意味もあります。
そして角は、支那が日本を差別する時に使う『日本鬼子』からも良いものではありません。
日本は弱く邪悪な存在で、支那の犬(パシリ)みたいな意味を持たせる為に、上手く誘導されて狛犬が誕生してしまったのではないでしょうか。
しかし近年、何処かおかしいと感じ始め、角は無くなり、元の獅子へと戻っているのかしれないと思うわけです。
まあ別にどうという話ではないし、本当は何か別の意味が有るのだとは思います。
単純に面倒になったらからかもしれませんし、最近狛犬が作られているのは中国だからかもしれません。
でもこうして色々妄想して楽しめるのも歴史の良い所です。
そんなわけで、私は狛犬の角が無くなってきているのは、妄想したような理由があるからだと思い込みます。{笑}
別に誰にも迷惑にならないですからね。