昨日この話は既に狛犬報道室でも取り上げているので、そちらを読んでくれている人にとっては似た話となります。
神社というのは、日本の文化そのものであるというのは以前から話している通りです。
だからこそ明治時代、神仏分離令が出たり、近代社格制度をつくって神社を管理保護できるようにしたんでんすよね。
しかしそんな神社も、戦争に負けた後はGHQによって国家と切り離されてしまいました。
神仏分離がどうだったか、それ以前に神仏習合がどうだったか、近代社格制度がどうだったか、そしてGHQ切り離しについてどうだったかは、皆さん色々な意見があるでしょう。
私も正直、どれも一概には言えないと思っています。
良かった面もあれば悪かった面もありました。
ただ現在の状況を考えれば、心の部分ではある程度失ったものを取り戻せる可能性がありますし、それができれば結果良かったと判断できると思うのです。
そう感じる事ができた理由にこちらがあります。
上の写真は大阪府が指定している天然記念物の銀杏で、下の写真は大阪市が保存樹に指定してる楠です。
これらどちらも神社にあったもので、こういう木は色々な神社で見る事ができます。
こういう行政によって保護されている木、公園や町中で見た事があるでしょうか。
私の家の近所の公園には、それなりに謂れのある木があり守られていますが、こういう指定はされていません。
なのに神社の木は、私の知るその木よりも小さかったりしますし、明らかに優先的に指定されている気がします。
どうしてだろうと考えた時、普通に答えを出せば神社にあるからですよね。
では何故神社にある木は優先的に指定されているのでしょうか。
例えば公園の木なら、そんな指定をしなくても行政の力で守る事ができます。
しかし神社のは私有地にある木ですよね。
まずはそういう事でしょう。
ただよっぽどで有れば当然天然記念物なりに指定して守るのでしょうけれど、他と大して変わらない大きさでも保存樹などに指定されているのには、他にも理由があると思うのです。
理由は二つです。
一つは御神木だからという理由です。
でも政教分離で日本政府と神社は切り離されてしまいました。
だからそういう理由が有ったとしても、それだけで保存樹に指定して行政によって守る事はできないはずです。
そこでまあもう一つの理由、『重要な木である』とか『自然を大切に』だとか言って保存樹に指定し、そこに金を流しているわけです。
これが一体どういう事かと考えたら、つまりGHQによって切り離された神社を、近代社格制度とは別の方法で国家とつなぎ合わせているわけです。
神道の精神とは、結ぶ(繋ぐ)事だと誰かが言っていました。
まさにその通り、日本は神道の精神で神社を国家と結んで(繋いで)いるのですね。
そして誰にも文句を言われない方法で、コッソリ静かに神社を守っているのです。
私はこの状況を見て、国はちゃんと神社を、文化を大切にしていると悟りました。
そして日本人の知恵の凄さや結束力を感じました。
また神社を見て回っていて日本人を知る事ができた気がします。
神社は日本人の心です。
これからもしっかりと国民とつなぎ合わせて守っていってもらいたいですね。