昔の言葉、或いは今の言葉でもそうですが、どうしてそういう風に言われるのかそれぞれに由緒や意味がありますよね。
そしてその由緒や意味は、大抵の場合複数の説が存在していると感じませんか?
偉い人が好きだったからだとか、似た言葉が変化したものだとか、AとBが合わさったものだとか、色々と言われるものが多いです。
そんな時、どれが本当なんだろうと思うと同時に、どうしてそんなに説があるのだろうかと疑問に思った事はありませんか?
そんな疑問の答えが、私はこの神社にあったコレを見て分かったような気がします。
これは八劔神社にある単なる時計ですが、そこに『敬神』と書かれています。
意味は神を敬うという事ですが、どうしてそれが時計に書かれているのでしょうかね。
計針、つまり漢字を変えると時間を計る針という風に意味が通るようになっています。
こういう遊び心というか、こういった文化は日本では昔から存在します。
百人一首に書かれているような短歌なんかもそうですね。
正岡子規がストレートな歌を歌うまでは、いかに本意を内に秘めた歌が作れるのかが上手さのポイントでした。
だから昔の短歌には必ず、表向きの意味と、そこに秘められた本当の意味が存在するようになっているのです。
つまり最低でも二つ以上の意味を掛け合わせるのが日本では良しとされていたのですね。
そういう風にやってきた日本なのだから、言葉にしろ何にしろ、由緒や意味が2つ以上あって当然なのです。
そして両方、或いは全てが正しいと言えるでしょう。
説が二つ以上あるものに対して、どちらが正しいかなんて議論はナンセンスかもしれませんね。
どちらも正しいというのが単純に正解と言えるのではないでしょうか。
ただ、どちらを優先したかったのかは、議論する余地もあったりするのでしょう。
なんにしても、私はこの時計を見てその事に気が付きました。
これが正しいかどうかなんて事は私には分かりませんが、私はそんな気がします。