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2017年5月31日水曜日

【神社ブログ】やっぱり気になる赤と白と紫(紺)の意味 鈴緒はどうしてそんな色をしているのか?

昨日は、門帳や壁代にある布筋の色が気になり調べました
布筋はほぼ間違いなく『赤と紫』のラインだったわけですが、この色は神社の鈴についた紐、『鈴緒』にも用いられている事が多いです。


主にこの三色が使われているのには当然理由があるはずなのです。
でないと同じには『普通』しませんからね。
そこで今日も更に調べる事にしました。

昨日のおさらいとして、三色の内の紫はそもそも黒であった可能性が高く、他の色である場合もあります。
紫というよりは紺と言った方が正確かもしれませんからそう言う人もいますし、或いは鈴緒の場合
は材質の都合なのか、緑の場合もあります。
これは作って販売しているウェブサイトで、『材質の変化で緑になる』と書いて有ったのでそういった都合なのだと判断します。
概ね、赤と白と黒‥‥黒っぽい色ならいいという事なのでしょう。
ちなみにとあるウェブサイトでの話によると、『色に意味はない』との事でした。{苦笑}

さて、それでも私は意味があると感じますから調べるのです。
まずは鈴緒についてです。
鈴緒は鈴に付けられた紐の事で、参拝者はここを持って鈴を鳴らす事になります。
概ね下側には六角桐枠と呼ばれるものと、その先に房がついています。
これを振って鈴を鳴らし、緒によって神様と繋がろうとするわけです。

鈴緒は、神様と参拝者を繋ぐ為のものなのです。

そこで鈴緒の色ですが、大きく分けて三種類のタイプがあります。
素材の色そのままの場合、関東では紅白、関西では紅白紫の三色が多いようです。
色に意味が無いとするならば、素材の色がそのまま『生成り(きなり)』というのは分かります。
そういう神社は意味を持たせていないのでしょう。
と言いますか、そもそも最初はおそらくこの形だったわけで、それでいいのだと思います。
そこに色を付けて意味を持たせたはずです。
関東に多い紅白も分かりますね。
これは縁起の良い色の組み合わせであり、神様との縁が良いものであるようにとの願いがあるのだと思います。

では三色なのは何故でしょうか。
二色にわざわざ『黒(紫・紺・緑)』を加えたのでしょうか。
五色であればまだ分かります。
五行思想の影響ですね。
その中心の色が黄色で隠れていると考えるのならそれも分かります。
緑と黒は混ぜで深緑、或いは紫や紺になったというのでしょうか。
少し無理がありますね。

昨日私が単純に思ったのは、天照大神、月読命、素戔嗚の三柱の神様という考えです。
これが一番分かりやすいです。
でもこれならハッキリと意味があると言えますから言っているはずですよね。

鈴緒という事で言えば、良い事も悪い事も全て含めて神様と繋がるという意味にも感じます。
関東では縁起の良い紅白で良い所だけ繋がろうとしているのかもしれませんが、関西では全てを受け入れる感じですかね。
神様には良い神様もいれば悪い神様もいるわけですし、良い所も有れば悪い所も有るのが日本の神様です。
それらすべてをしっかりと受け止める為に、あえて黒(紫・紺・緑)を入れたのではないでしょうか。

そこで昨日も言いましたが、紫と一般的に言われているのは、それが神聖な色だからだと思われます。
黒そのままよりも良いと思える要素がありますよね。
緑は、こじつければ心穏やかにする色ですから、鈴との相性は良さそうです。
ただ、材質の都合によって変えられた色ですから、これこそ本当に意味はないのでしょう。
濃い緑が使われていますから、あくまで黒ではない黒の代わりというわけです。

鈴緒に関しては、三本の綱をねじってあるのですから、三色というのは分かります。
だから残り一色は黒っぽい曖昧な色とする事にしたのかもしれません。

結局、同じような色が使われているにも関わらず、それには意味が無いという結論に至ってしまいまいます。
しかし無意識に選んで同じなら、またそこには何か理由があるはずなのです。
神様が選んだ色という事でしょうかね。{笑}
だいたい同じになってしまうのなら、そう考えると良いと思いますよ。

結論、神様が決めた色だから、でいかがでしょうか。
もしも色について聞かれたら、『これは神様が決めたんだよ』と答える事にします。

2017年5月30日火曜日

【神社ブログ】どうして神社にある帳には赤と紫のラインが入っているの?布筋の色の理由を考える

神社にある御幕の中で、白地に赤と紫のラインが入ってるのを帳(とばり)と言います。
その中でも色々と種類があるようで、例えば朽木柄の入っているものは壁代、神紋が入っている写真のようなのが門帳、或いは戸帳なんかがあります。


門帳や戸帳にはあまり差はなさそうですが、写真のような神紋入りのものを門帳、別の模様が入った長めのものを戸帳と言い分けている人もいるようです。
まあ写真の場合は門に付いた帳ですから、門帳というのがしっくりきますね。

さて今日はこの帳について感じた疑問を調べてみようと思います。
それは帳についているラインについてです。
写真を見て分かる通り、このラインは帳と一体ではありません。
前に掛けられているものですね。
概ね少し帳よりも長めで、赤と紫のラインとなります。
名前は『布筋(のすじ)』と言います。
お葬式などで使う朽木幕では、これが紫一色(紺色に見える)だったりしますが、どうやら概ね色が決められているようです。

どうして赤と紫なのでしょうか。
これは全く意味がないとは思えません。
神社の鈴に付いている綱というか縄というか、アレも多くで白と赤と紫だったりします。
意味があると思うのです。

調べてみました。

全く分かりませんでした。{苦笑}
『現在主に赤と紫が使われている』とか、『そもそもは赤と黒だった』ような記述もどこかで見ましたが、それくらいしか分かりません。
ただそこから少し考えますと、赤は陽を、紫(黒)は夜を表すとシンプルに考える事もできます。
※赤が天照大神、紫が月読命、白が素戔嗚という見方もできそうです。
※素戔嗚は暴れた後改心して心が白くなったと考えれば‥‥
だからお葬式などで使われる朽木幕では、赤が無いんですね。
赤は白との組み合わせで縁起の良い色、黒はその逆となる事から、神社では黒よりも別の色、つまり紫へと変化したのではないでしょうか。
紫には『神聖』という意味もありますし、神社で使うにはもってこいの色だったのでしょう。
もちろん、これは逆の可能性もありますけれどね。
神社で使われることで神聖な色となっていった可能性があります。
拝殿前の大きな御幕にも、紫に近い色が使われている事が多いです。

また何か分かればどこかで書こうと思いますが、意外とハッキリしていない事って多いですね。
それを想像するのも神社を巡る楽しみです。
長い歴史を感じられる日本って、本当に良い国だなって思います。

2017年5月29日月曜日

【神社ブログ】大震災の時に被害が多かった神社と少なかった神社? 素戔嗚大先生流石っす! 神社の歴史がまた一ページ‥‥

面白い記事が有ったのでご紹介します。

「スサノオ」を祀ったほとんどの神社が被災を回避 津波との関係が話題に

記事によると、素戔嗚大先生を祀った神社、或いは熊野系、八幡系の神社の多くは津波を免れたらしいのです。
もう神社が好きな人が見ればなんとなく分かりますよね。
全部武闘派じゃないですか。
素戔嗚大先生と言えばヤマタノオロチと戦って倒した神様として有名ですが、これは川の氾濫を防いだという事ですよね。
つまり自然災害に強い神様なのです。


私の大好きな素盞烏尊神社(浦江八坂神社)も当然素戔嗚大先生が祀られております。
アマテラスちゃんが降臨した神社ですが、詳しくはそちらで。

ちなみに天照皇大神がお祀りされている神社は結構被災したそうです。
それは仕方がないですよね。
アマテラスちゃんは武闘派ではないですし、災害をやっつけるなんて事はできません。
太陽パワーで五穀豊穣ですよ。
人々の顔を照らして笑顔にするのが天照皇大神ですから。

まあ津波から逃れたのは神の力だとか、断言するつもりはないですよ。
と言いますか記事にも書かれている通り、これは逆なんですよね。
素戔嗚大先生を祀る場所は、災害を食い止める所に無くてはならないのです。
あっさり被災したら『全然ダメな神様じゃん!』って言われちゃいますからね。
被災する場所に在ったら駄目なのです。
だからちゃんと安全な所にあるから津波の被害にもあわなかったわけですね。
被災した所はおそらく『津波を止める為』につくられた神社ではなく、別の自然災害などを想定して建てられたものだったのでしょう。

神社はやはり昔の人々の教訓が残されている場所なのですね。
その場所によって歴史も分かり、災害も回避し得るわけです。

自然災害に合わない場所という事なら、八坂系、八幡系、熊野系が良いという事なのでしょう。
そういう事を考えながら、次の引越し先を決めるのも良いかもですね。
でも奉遷、遷座した神社もありますから、しっかりと元あった場所を見ないと駄目かもですよ。

本当に歴史って大切ですよね。

2017年5月28日日曜日

【神社ブログ】神社には猫がいる! そうではなくて‥‥ どうして木を切った切り口は黒く焼かれていたりするのか?

日曜日です。
色々忙しい中、ネタを探す時間がございませんので、今日は一枚の写真だけです。{苦笑}

写真が一枚なのは本当ですが、それだけでは終わりませんよ‥‥
多分‥‥ 紹介する写真はこちらです。


これは某生國魂神社の境内神社である稲荷神社でございます。
この写真、じっくり見てください。
なんと後ろに猫がいるではありませんか!
実は先ほど気が付きました。{苦笑}

神社って結構猫がいますよね。
その理由は単純に住みよい場所だからだとは思いますが、私は実は神様が降りてきてるのではないかと思う事もあります。
豊國神社で猫を見たら、『秀吉か?!』なんて思いますから。
あの視線からは間違いなく秀吉が感じ取れます。
どうでもいい話ですけれどね。{笑}

それで今日の話ですが、特に神社と関係が無い気もしますが、木を切った時に黒く焼かれているのは何故かという事を調べたいと思います。
まだ調べていないので、話が広がらなければ結局猫の話で終わりです。

軽く調べました。
まず、切り口に何らかの処置をするのは、腐敗したり病気になるのを防ぐ為のようですね。
殺菌し、耐久性を上げ、乾燥を防ぐのだぞうです。
木も切ったら、人間と同様に傷口をふさごうとします。
ですがそれが行われる前に、細菌にやられたり、乾燥してボロボロになったりするのです。
だから何かしら被せられたり塗られたりするわけです。
写真のは黒く塗られている感じですね。
いずれにせよ、神社に限らずこういう処置は行われているようです。

その中で『焼く』という対応をしている所もあるように思います。
おそらく神社写真を全部見ていけばみつかると思いますが、これには意味があるのでしょうか。
色々調べると、『墨汁を塗る』という対応がありました。
焼くのはこれと同じ効果が期待できますね。
炭素で覆うという事です。
しかも生け花などで見られるように、バクテリアの繁殖を防ぐなんて効果もあるのかもしれません。

これはどうやら神社だけのものではなさそうです。
ただこういう対処は、しっかりと神社に残されているという事は覚えておきたいですね。
何かあった時に訊ねる事もできますから。

はい、特に神社と関係がない話を、無理やり神社に持っていきました。{笑}
今日は時間も無いしネタもないので、こんな感じで終わらせていただきます。

2017年5月27日土曜日

【神社ブログ】獅子と狛犬の違いは何処? 両方が獅子だった場合どうやって見分けるの? 獅子は沖縄読みでシーサー?

あるウェブサイトを見ていて、私は知りたくなりました。
獅子と狛犬の本当の違いをです。

【阿像獅子】
阿像獅子

【吽像狛犬】
吽像狛犬

京都国立博物館の狛犬の所で、最後の所で質問されているのです。
両方が獅子である狛犬の組み合わせがあるのですが、それを見分けられるかというのです。

まず、角の有る無しでは判断できません。
何故なら『角が無い狛犬もいる』からです。
それはリンク先のページでも説明がされています。
逆に角が有れば間違いなく狛犬です。
つまり上の二枚の写真は、上側が獅子で、下側が狛犬という事です。
この二枚の写真で違いを見つければ、それが見分けるポイントとなるでしょう。

しかし全くわかりませんね。
ですからちょっとネットを検索して調べる事にしました。

まずはウィキペディアから見ていきましょう。
獅子は黄色で左に置き、狛犬は白色で右に置くという記述があるそうです。
置かれる位置はおそらく神様側から見てという事で、参拝者側から見れば逆となります。
色は‥‥流石に分からないですね。{笑}
最近は色が塗られているものもありますが、全身塗ってあるのは見た事がありません。

さらに読み進めると鎌倉時代後期から『簡略化されたものが出始め』、今日では角の無いものが作られるようになり、見た目違いが無くなってきているとありました。
それは本来『獅子と呼ぶべきもの』とあり、角以外にも見た目に本来は違いがあった事をうかがわせます。
ポイントは、『簡略化された部分は角以外にどこか?』という所でしょう。

別のサイトで、現在は『獅子と獅子の組み合わせが主流』とありました。
それってつまり左側にいるのが狛犬ではなく、獅子の守護獣を2体合わせて狛犬という感じになっているという事ですよね。
簡略化され狛犬が獅子に戻っているという事でしょうか。

蹲踞しているしていないなど、体勢によって分けている所もあるようですが、上記写真ではそのような区別はできませんのでそれで判断はできません。

毛に霊力があり、巻き毛のカールが強いほど霊力も強いという話がありました。
※考え方は逆で、霊力の強い獅子の毛がカールしている。
狛犬はカールが弱く、波型になっているという話もあります。
※狛犬は角に邪気を祓う力がある。
この辺りが意外と見分ける方法になりそうな気がしますが、完全ではなさそうです。
角のある狛犬でも獅子と同様のカールが有ったりします。
ただ、多少見分ける為のポイントにはなりそうですね。

結局、色々と調べてきましたが、時代の流れと共に適当に作られて変わっている部分も有って、明確な見分け方はなさそうです。
京都国立博物館の答えが知りたい所ですが、これは単純に『角が無いから』なんてオチでしょうね。
現代では獅子と獅子の組み合わせが多いようですから。

此処は単純に、置かれてる狛犬には角がないものがあり、それは獅子であると考えるべきです。
そして神様や天皇をお守りする二体の守護獣を狛犬と呼ぶわけです。

そう考えると、シーサーとの差ももうほとんどないですね。
シーサーは沖縄での獅子の呼び方ですから、獅子と獅子ならシーサーと呼んでもいいわけです。
ただ、狛犬の方の獅子は『狛犬』という呼び方に影響されて、その姿形に影響が出ているようです。
獅子色を薄め犬色が強くなっている傾向にあるわけです。
だからシーサーに犬的要素を加えたものが狛犬と言えるのではないでしょうか。
まあだからと言って犬ではないんですけれどね。
元々は牛に似た空想上の生き物で角があるわけですから、高麗犬が狛犬なんて話も後づけのものです。
全く関係がないとは言えませんが、高麗は関係なく犬の影響を受けた獅子や狛犬なのです。

そんなわけで、結局狛犬か獅子かの見分け方は、『角の有無』という事で終わりたいと思います。
そして両方が獅子であったとしても、両方合わせて狛犬と呼びます。
これからは角が無い吽像は、吽像獅子と呼ばないとですね。

2017年5月26日金曜日

【神社ブログ】露天神社『通称:お初天神』から分かる日本の神様 神社神道はこうやって時代の中にあった

神社は長い日本の歴史の中で、色々と形を変えてきました。
神仏習合があり、力を失っていた時期があり、神仏分離で復活し、そして今のような形となっています。
だからどの神社にもそれなりの歴史があり、詳しく調べればそれなりに興味深い話もあるでしょう。

そんな話の中から、今日は露天神社という神社の話をしたいと思います。
これが日本の神社、そして神道なんだろうなと感じたからです。
正直な所、そんなに詳しく調べたわけでもなく、いくつかの出来事や状況から私が想像したものにすぎませんが、でも多分これが神社の本質なんだろうなと思えるんじゃないでしょうか。


露天神社って面白い神社なんです。
まずその名前から考えてみましょう。
天神社ですから菅原道真を祀っているのは間違いないはずです。
でも何故かこの神社に行った人、或いは参拝者にとっては目的が違うようなのです。
菅原道真は学問の神様ですが、露天神社に行く人というのは『縁結びの神様がいる所』という事で参拝します。
どうしてでしょうね。

それは通称である『お初天神』という所に答えがあります。

何故お初天神と呼ばれるのでしょうか。
何故お初天神と呼ばれているかは、露天神社のホームページをご覧ください。{笑}
簡単に言いますと、露天神社(天神の森)を舞台に、ある男女が情死しました。
それを近松門左衛門が『曽根崎心中』へと劇化したわけです。
それが当時の人々の間で大人気となり、聖地である露天神社に参拝に来る人が大勢押しかけてきたわけですね。
これはお初と徳兵衛の美しい恋の話な訳ですが、気が付けば二人は神と崇められ、露天神社はお初天神(お初の名前が入れられた)となり、恋愛成就、縁結びの神様がいる神社となったわけです。


『えっ?そんな事で神様になっちゃうの?』なんて思うかもしれません。
しかしこうやって神様が生まれるのが日本という国なのです。

この状況を分かりやすい話で例えると、 アニメ『らき☆すた』人気で有名になった鷲宮神社が、オタクの聖地となった事を見れば理解できるのではないでしょうか。
登場人物の名前が、かがみだったりみゆきだったりと神社と繋がりのある名前になっているのも良いですね。
もしかしたらこの先、この登場人物は神として鷲宮神社にお祀りされる可能性もありますよ。
或いは作者とかね。

AKB48の神セブンだって、既に神と言われているわけです。
AKBのファンだった世代が老後の生活を送るようになった時、もしかしたら秋葉原に神社を造って神セブンを祀ろうなんて話になるかもしれません。
秋葉原の何処かの神社で祀られる事になるかもしれません。
実際に露天神社はお初天神と呼ばれるようになり、お初と徳兵衛は神となっているのですから。
日本には『神対応』というものもあり、これによって神セブンが本当に神になる日も無いとは言えないのです。

日本では、その人にとって良い人良いモノが、誰でも何でも神となる文化があるのです。
露天神社はそれが見える形で残っている神社というわけですね。

そんなわけで露天神社から、日本の神様がどういうものなのかが少し見えたと思います。
でも露天神社にはまだ他にも面白い所があるので紹介します。

それは神紋です。


神紋と言うよりは、何故このような神紋になったのかという部分です。
お初天神と呼ばれるようになっとはいえ、ここはなんといっても菅原道真を祀る天神さんです。
天神さんの神紋と言えば梅紋と決まっています。
でも何故か露天神社の神紋は違うのです。
菊に右三つ巴紋なんですね。
どうしてでしょうか。

単純に、元々は露天神社では無かったと言ってしまえばそれまでです。{苦笑}
ウェブサイトの説明によれば、昌泰4年(901年)2月に菅公が詠んだ『露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば』という歌にちなんで露天神社となったそうです。
菅公が合祀されたのは元和8年(1622年)3月ですから、そう呼ばれるようになったのはここからかもしれません。
つまりそれ以前は違う神社だったのです。
※それ以前から『曽根崎天神』と呼ばれていた可能性有り
しかしそれ以前におそらく祀られていたであろう少彦名大神や大巳貴大神の神紋とは違います。
少彦名神社は左三つ巴、出雲大社は亀甲紋と剣花菱ですね。

では何故今露天神社は菊に右三つ巴紋なのでしょうか。

それは境外にある夕日神明社碑を見て気が付きました。


既に元々は少彦名大神や大巳貴大神と言っている通り、天照皇大神や豊受姫大神は後から合祀されたわけです。
調べると夕日神明社(難波神明社)から合祀されたのは明治43年の事で最近なのですね。
あくまで私の想像ですが、ここでおそらく神紋が今のものに決まったのではないでしょうか。
大國主(大巳貴大神)は国譲りをした神様ですから、ここでも神紋を譲ったのです。
天照皇大神や豊受姫大神と言えば伊勢神宮ですから『花菱紋』、或いは『菊紋』となるわけです。
そこに国譲りをしていない少彦名大神の三つ巴紋が残った形です。
ただし逆の形ではありますがね。

まあ少彦名大神が祀られている天神さんも多く、一緒に考えられている所があるのかもしれません。
それゆえに菊と三つ巴紋という形になった可能性も考えられます。

菅原道真が祀られている神社は概ね天神さんと呼ばれるのでしょう。
だから正式な神社名は露天神社です。
しかしその色は縁結びの神様になっているので通称お初天神です。
そして祭神の格というと少し違うかもしれませんが、順当に天照皇大神に敬意を表す形で神紋は菊に三つ巴となったのではないでしょうか。
色々な所に配慮が見える、とても日本人らしい神社に感じます。

神社の歴史って面白いですね。
そして日本の神様に対する考え、何かを崇める時の軽さは素敵です。
すぐに何にでも敬意を払い尊敬できるのは良い文化だと思いますよ。
こんな文化を、我々日本人は何時までも大切にしていきたいと思いますね。

2017年5月25日木曜日

【神社ブログ】知られていない小さな神社の探し方 近所で見つかると結構嬉しい

道を歩いていると、時々小さな神社を見つける事があります。
私は神社巡りをする時は、あらかじめGoogle大先生のマップで調べてから巡るわけですが、それでも道の途中で小さな神社を見つける事があるのです。
こういう地図にも載らないような神社も知りたいわけですが、Google大先生は普通に検索すると教えてくれません。

神社検索

大阪駅周辺の北区エリアを普通に『神社』で検索すれば、Googleマップではこのように表示されます。
私はこれ以外にも五つ以上小さな神社を知っていますが、それらはなかなか表示されません。
後一つくらいはマップの大きさや場所の調整で表示されますが、だいたい普通に境内が有ってしっかりとした神社しか表示されないのです。

なんとか他の小さな神社も表示させる方法はないのでしょうか。
そこで気が付いた方法が、大きな括りの『神社』で検索するのではなく、もう少し検索範囲を狭める事でした。

『稲荷神社』で検索してみると、表示されなかった神社が現れました。

稲荷神社検索

徳兵衛大明神だそうです。
此処はまだ行った事がありませんが、第二ビルの三階辺りにあるようです。
実は横の第一ビルにも稲荷神社があったと思いますが、そちらは表示されていないようですね。
まあでも今まで表示されていなかった私が初めて知る神社が出てきました。

このやり方に気が付いたのは、以前『白龍大神』を検索した時でした。
白龍と白瀧を間違っていたかと不安になり検索してみたのですよね。
そしたら‥‥

白龍大神検索

このようにしっかりと表示されているではありませんか。
有りがちな神社名や神様の名前を入れて検索すると、意外と引っかかるようなのです。
実はこの時もう一つあったのですが、今日検索した時はそちらは表示されませんでした。
日によって表示されたりされなかったりする事もあるようです。

後は地図を拡大したり縮小したりすると、表示される神社が変わったりしますから、色々と試してみる必要もあるでしょう。
他にも、Googleマップではなくて普通に検索すると、意外と見つかったりします。

このようにすれば、地図で普通に表示されない神社を見つける事ができます。
お気に入りの神様が有ったりするのなら、そちらから検索して神社を探すのも試してみてください。

2017年5月24日水曜日

【神社ブログ】生國魂神社の話 菊紋が目につくので祭神もそういった神様だと思っていたら‥‥

今日も特にネタはありません。{苦笑}
昨日の話は久しぶりに気が付いた新しい事だったんですよね。
今日のも気が付いた話ではありますが、昨日程の驚きは有りませんでした。

生國魂神社、最初は生國神社だと思っていました。
特に理由はありませんが、なんか名前として変わってますからね。
そして印象はこの写真の通りでした。


鳥居の上の鳥、ずっととまってたんですよね‥‥
そこではありません。{汗}
提灯を見れば分かる通り、神紋として菊紋が描かれています。
他にも色々な所で菊紋が目立つ神社だったので、なるほどそういう神社なのだなと思っていたわけです。
たとえば主祭神が天皇か天照皇大神と言った所ですね。
ところが別の所で違う神紋を見つけました。


此処です。
見えませんよね。{汗}
手水舎の鬼板の部分です。
拡大しますと‥‥


左三つ巴は良いとしても‥‥
橘紋!

左三つ巴と橘紋と言えば、石清水八幡宮ですね。
まさか八幡宮系の神社だったのですか。

早速調べてみました。

全く分かりません。
天皇の統治国を司る神という事で、どちらかというと菊紋の方がしっくりきますね。

では八幡宮との関係はどういったものがあるのでしょうか。
大阪城の南にあるという事で、城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)が摂末社に置かれましたね。
鳥居前の蓮池附近に鎮座していたらしく、おそらく写真に近い位置にあったのでしょう。
その名残でしょうか。

まあ全然違いましたけれどね。{苦笑}
北側の入り口、朱色の冠木門の方に置かれている灯籠にも橘紋と左三つ巴紋がありました。
だから普通にこれがこの神社の神紋ではあるようです。
ネット上にもお守りの写真がアップされており、そこには橘紋と左三つ巴紋が描かれていました。

私の予想では、大阪城の守護神として八幡様が来た時にこの神紋にしたのではないかと考えています。
全く当たっている自信はありません。{笑}

それにしても面白いですよね。
神文一つどうやって決まったか分からない神社もあるわけです。
※情報がネット上に見当たらないという意味で。
おそらく全ての神社に、このように情報が出回っていない歴史があるんですよ。
気になりますよね。
こういう事を考えて楽しめていると、本当に歴史の長い日本に生まれて良かったと感じます。

2017年5月23日火曜日

【神社ブログ】なんとなく地蔵尊と決めつけていたものが実は神社だった件 東天満公園の神様は確かに銀杏の御神木でした

私が子供の頃、活動範囲内に『三角公園』という場所がありました。
バブルの頃、近くに帝国ホテルが建った事で整理が行われ、今では綺麗な『東天満公園』となっています。
※公園名は昔から東天満公園だった可能性も有り。

そこには大きな銀杏の木があります。
いかにもと言った感じの木で、近くにはお地蔵さんが置かれていました。
だから子供ながらに想っていたのです。
この木は神様の木で、お地蔵さんが守ってくれているんだと‥‥

さてそんな私が久しぶりにこの木を見たとしても、横に祠があったとしても、『ああ地蔵尊があるんだな』くらいにしか思えませんでした。
お地蔵さんの印象が強かったですからね。
だから全く『ここが神社だ』という認識が無かったのです。



これは両方とも1月28日に撮った写真です。
今しっかりと見れば地蔵尊ではないと分かるのですが、この頃は全く何も考えていませんでした。
祠の中にお地蔵さんが置かれているわけではないですからね。
さてそれで次に行ったのが4月の12日です。
その時も同じ写真を撮ったのですが‥‥


違いがお分かりになりますか。
注連柱の横にある木標に、『大物主大神之璽』と書かれているではありませんか。
誰が書いたか知りませんが、これだけ綺麗に書かれているという事はそういう事なのでしょう。
これで気が付いたわけです。
此処は神社だったのだと。

そういえば写真奥に見えている道を北に真っすぐ行った所に、藤八大明神が祀られている正一位稲荷神社があります。
大きなご神木が有り、神社の横にお地蔵さんがおられるんですよね。
神仏習合の影響が強く残っているのが稲荷神社です。
つまりこの東天満公園のこの神社もそういった系統だと考えればすぐに分かる事だったのです。

大物主とは蛇神様であり、稲作豊穣などの信仰を集めています。
だから後に稲荷神社へと変化した所もあるのが蛇神信仰なのですね。
逆に廃仏毀釈の際、旧来の本尊に替わって大物主を祭神とした例が多いという話もあり、この辺り色々な理由が絡み合って今の形がありそうです。

蛇神信仰、巳さんを祀るというのは色々と複雑な話がありそうで楽しいです。
廃仏毀釈で本尊が大物主信仰になったのは、 それなりの理由があるようです。
詳しくはウィキペディアでどうぞ。{笑}
それが理由なのかどうかは分かりませんが、巳さんの系列が残る稲荷神社にも仏教色が強く残っています。
ちなみに巳さんに関しては以前にも話しましたが、そもそもは稲を荒らすネズミを退治してくれる蛇という事で稲作豊穣の神となっています。
そこから同じ御利益のある稲荷神社へと変わったり、或いは白龍神社へと変わったものもあります。
何故こういう変化が起こったのかは以前話した通り、キリスト教などの影響があったのではないかと想像します。
蛇は悪魔ですからね。
蛇の神様は都合が悪かったのでしょう。
稲荷神社では今でこそ白狐の印象が強い神社ですが、白狐のしっぽ、或いは神紋に宝珠が見られます。
マキグソのような形をしたやつですね。{笑}
それは蛇がトグロを巻いている姿という話もあり、蛇が稲荷神社にも形跡を残しているのですね。

現在は巳さんと言えばご神木ありきな感じがします。
だからご神木が祀られている時点で私は気が付くべきだったのです。
此処は巳さんが祀られているのだと。

いやでも今回この木標に気が付いて色々とスッキリしましたね。
稲荷神社に仏教色が強いのも、少しだけ繋がりが見えました。
面白いですよ。

そんなわけでこれからは、明らかに御神木が祀られている場所があったら、それは巳さんの可能性が高いと考えて見て行こうと思います。

2017年5月22日月曜日

【神社ブログ】どうして神社の拝殿は南向きが多いのか?逆に違う方向を向いているのには意味があるのか?

以前聞いた事があります。
神社の拝殿(本殿)は南向きに建てられているというのです。


その理由としてハッキリ言われているのが、太陽、つまり天照皇大神に背を向けないという話です。
日本での最高位の神様は天照皇大神であり、これは納得がいく理由です。

他にも参拝者は、逆に太陽と共にという話もあるかもしれません。
古事記の中で、 彦五瀬命が言っていました。
『日の神の御子なのだから敵を太陽の方角に置いて戦うのはよろしくない。太陽を背にして‥‥』
つまり参拝者は太陽と共に参拝した方が良いという考えです。
ちなみに我々日本人は、概ね天皇の血が流れていると言われています。
人口が少なく天皇が何人も子供を産んでいた時代から二千年続く日本です。
何処かで血が入っている可能性は限りなく高いのです。
天皇でなくても、天照皇大神から考えればほぼ間違いないと言えるでしょう。
天照皇大神は我々のご先祖様でもあるのです。

鳥居の色が関係している可能性もあります。
鳥居から入り参道を真っすぐいって拝殿というのは普通の神社の形です。
鳥居の色を四神に合わせるという話もあり、朱色の鳥居は南に置く事になります。
朱雀の方角ですね。
その他風水の観点から鬼門を守る為の神社だったり、役割が有ればその方角を向いている事もあるようです。
ちなみに本来の白い鳥居は白虎の方角で西となります。

何も無ければ神社は基本的には南を向いているようです。
だから私が南に向かって神社巡りをすると、概ね裏門に当たってしまうのですね。{苦笑}
北側に向かっていく場合は大抵表参道を通って参拝できます。

そんなわけで、多くの神社は南向きです。
ただし他に理由がある場合には様々は方角を向いていますので、南向きではない神社が有れば、そこに疑問を持って理由を調べるのも面白いかもしれませんね。

2017年5月21日日曜日

【神社ブログ】自分の中にある矛盾に気づく 言葉というのは変化していっても良いのだろうか 竹水栓から感じた疑問

昨日は頭が回らず、納得いかないままの記事をアップしました。
そしたら何故か他よりアクセスが多い不思議。{汗}
ネット上の記事って、概ねタイトルが全てを決めるのだろうなとつくづく思います。

さて今日取り上げるのはこちらです。


手水舎(手水所)にある、水を供給する為の竹で作られたものについてです。
これ、なんという名前がついているかご存知でしょうか。
これは『筧(かけひ)』というものです。

この筧から水がチョロチョロと流れ出、鹿威し(ししおどし)に注ぎ込まれる仕掛けを添水(そうず)と言います。
『添水=筧+鹿威し』というわけですね。
添水の事を鹿威しというのが今では一般的かもしれません。

そんなわけで少しハブられている筧ですが、神社では鹿威しを見かける事は少ないです。
私は見た事がありませんし、あるのは概ね筧だけです。
それでこの筧、インターネットで調べると名前が『竹水栓』となっている所が多いのですよね。
これってどうしてでしょうか。
これは水栓柱の竹で作られたものという意味のようで、ある企業の商品名なのだそうです。
水栓柱とは庭や屋外、公園などにある水道です。
高さ50cmくらいの柱の上の方に蛇口がついているものですね。

そんな名前、普通の人は知りません。
だから竹水栓と言われてもまず分からないわけです。
だったらそのまま筧と呼んだ方が商品名としても分かりやすいのではないでしょうか。
何より昔からある名前を変えるようなこういう名前を付けるのは、正直あまり良くないと感じました。

でもちょっとここで自分の感情に疑問を持ちました。
私は以前から『言葉とは時代と共に変わって良いもの』と言ってきたのです。
例えば『食べれる』という言葉、らぬき言葉と言ってよく批判されていますよね。
でも『食べられる』というと、『食べる事ができる』という意味と『誰かに食われる』という二つの意味を持ちます。
だったら『食べれる』と言った方が意味が理解しやすく、その方が良いのではないかと思うわけです。
だから『言葉は変わって良い』と言っていたわけです。
しかし最近神社を巡り、こういう古くからの名前を知ったり、読めない石碑を見るたびに想うのです。
言葉は変わらない方がいいなと。{苦笑}

最近は『食べられる』も変えない方が良いかもしれないとも思うようになりました。
これも神社を巡っていて理解できた事ですが、日本では古くから複数の意味を持たせる言葉や言い回しをする文化があるのです。
それが最近面白いのですよね。
短歌がその代表的なものですが、裏の意味を感じられると嬉しくなってきます。

日本人は昔から言葉に遊び心を取り入れてきたのです。
そういう文化って素敵じゃないですか?

パソコンでタイピングしていると、確かに効率という面ではアルファベットに完全に劣ります。
漢字も沢山覚えなくてはいけなくて、とにかく私は漢字を覚えるのが嫌いでした。
でも神社を巡る中で、実はそこにゲーム性と言いますか楽しさがあるという事に気が付き、これは大切にしたいなと思うわけです。
だから時代と共に言葉が変わっても良いという気持ちも、かなり無くなってきましたね。
変わる部分もあって然るべきだとは思いますが、できるだけ変えない方がいいなと最近は思います。

2017年5月20日土曜日

【神社ブログ】坐摩神社行宮から想いを馳せる 遠い昔ここで神功皇后は何を考えていたのだろうか

天満橋の駅からすぐ近く、坐摩神社行宮という場所があります。



坐摩神社行宮と言われても、正直なんの事だか深く考える事はありませんでした。
境内にある説明を読めば、元々この場所に坐摩神社があったので、単純に跡地だと認識していたからでした。

でも写真を振り返って見ていると、ハッキリと『行宮』について理解していない事に気が付き、調べてみる事にしました。

まず読み方ですが、『行宮』と書いて『あんぐう』と読みます。
そういえば『あんぐう』というのは結構聞いた事がありましたね。
実はなんとなく『こうぐう』だと思っていました。
そういう響きの言葉は聞きますから。
ただ、『こうぐう』だと『皇宮』になってしまいますね。
結構意味的には『跡地』というよりは近い気もしますが、これはいつものアレだと思います。
同じ音に違う意味を持たせたりする日本の文化による遊びですね。
それであえて区別する為に『あんぐう』と読むようにしたのか、或いは逆に『行宮』という文字を当てたのか、何にしても面白いです。

行宮の意味は、天皇がお出ましの時の仮の御殿だそうです。

でもこの坐摩神社行宮には当てはまらない気がしますね。
まずここに来たのは神功皇后ですよね。
そしてここに坐間神を奉斎されたとか。
その後坐摩神社は天皇が訪れる行宮として使われていたのでしょうか。

もしくは天皇ではなく、神様が訪れる場所としての行宮ですかね。
ウィキペディアには神社における行宮として、坐摩神社行宮が別に書かれていましたから。

何にしてもここには昔、神功皇后が奉斎して建てられた坐摩神社があり、そして今でも新羅から帰ってこられた際に休まれた石があるわけです。
少なくとも皇后が休めるような建物が当時からきっとあって、石に座りながら『ふぅ~あちぃ~』とか言いながらビールでも‥‥は無理として、水を飲んでいたりしたのでしょう。

朝鮮半島をまとめて帰ってきた人が、その当時この場所で何を考えていたのでしょうか。
昔の事を想うと、遠い宇宙に浮かぶ星々を見ているような気分になります。

結局の所、坐摩神社行宮が何故行宮なのかは今一分かりませんでした。
ただこの地に、現代の人が神と崇める人がいたとされているわけです。
なんとなくですが、この場所に神社を復活させてもらいたいなと感じますね。
行宮ってのもなんか格好いいですけれど。{笑}

ちなみに坐摩神社行宮は、境外末社という事のようです。
つまり神社なんですね。
確かに祭神もおられますし、祠もあります。
私の求める神社は、神功神社とかそういうのができたらいいなと、そんな話ですよ。

2017年5月19日金曜日

【神社ブログ】社殿の屋根を支える木など切り口が白く塗られているのは何故?どうして白で共通しているのか

色々な神社を巡っていると、色々な社殿を見る事ができます。
神社ごとそれぞれ個性があって、それを見るのも神社を巡る楽しみの一つです。
しかし神社ごとに違うと言っても、当然共通している部分も色々あります。
概ね拝殿や本殿は瓦屋根か銅葺き屋根の建物ですし、基本的なつくりは似ているのです。
そんな似ていたり同じ部分に、これが有ります。



木の切り目部分は、ほとんどが白く塗られている事です。
これはお寺なんかでもそうですが、凄くこの白が目立つんですよね。
上の写真の手水舎のように、白い部分が綺麗に並んでいるのはよく見ます。
これってどうして白く塗っているのでしょうかね。

調べてみると、切り口から水が浸入する事によって起こる膨張や腐敗、割れるのを防止する為だそうです。
元々胡粉や鉛白が使われていたようで、だから白いんですね。
今では防水用塗料に変わっているようですが、そのまま白い色が使われています。
『木口胡粉塗り』と言われるものだそうです。

この白は、実は寺院の門にある屋根でよく見かけていました。
それで気になって神社でも気にしていたら、意外と神社にもあったわけです。
神社の場合は、その数が少なかったのであまり意識していなかった感じですね。
下の写真では結構数がありますが、それでも並んでいて目立つ事はありません。
少ない社殿では二カ所くらいしか見えない所もありますし、破風や懸魚のようなもので隠されていたりします。
或いは金属でできた飾りが被せられていたりして隠されているのですね。

そんなわけで、木の切り口はなんらかの方法で水が入らないように工夫されています。
そのもっともシンプルなのが白い防水用塗料で塗る事だったわけです。

神社にはまだまだ私の知らない事が沢山あります。
これからもまた、疑問や気になる事があれば日々伝えられたらと思います。

2017年5月18日木曜日

【神社ブログ】石碑などに丸い穴が開いている訳 遥拝所にある遥拝石の丸い穴を覗くとそこには伊勢神宮がある

以前からよく取り上げている遥拝石にある丸い穴。
でも遥拝石に限らず、多くの石碑で丸い穴が開いているのが見られます。
これって一体なんなんでしょうね。


今日はもう少し色々調べて考えてみようと思います。

そもそも石に丸い穴をあける文化は、こうやって石碑に丸い穴を開ける以前からありました。
価値のある石に穴を、或いは穴の開いた石を価値ある石としてきたのです。
だから大切な石碑に丸い穴を開けておく事はなんら不思議な事ではありません。

そもそも日本では、丸い太陽の形は日本の最高神天照皇大神の象徴でもあります。
伊勢神宮を拝む為に用意された遥拝所の多くには、丸い穴の開いた遥拝石が置かれています。
神社によっては、穴の向こうに伊勢神宮が見えると説明されている所もあり、『丸い穴=伊勢神宮=天照皇大神』という風になっていると考えられます。

八咫鏡に代表される神鏡が丸い形なのも同じ理由か、或いは丸い穴を開けるのもこの辺りの影響があるかもしれません。
鏡に映る向こうの世界が神の国という考えも有り、穴の向こうは神の国、或いは伊勢神宮に通じるという事でしょう。

とある観光地では、丸い穴から太陽を見ると幸福になれるという石が有ったりします。
私も以前遥拝石の穴から太陽を見て大喜びしていたのでその気持ちが分かります。{笑}

元々価値のある石、或いは大切な石に穴を開けていた所に、丸い穴は神聖だという要素が加わって、後に多くの石に丸い穴があけられるようになったのではないでしょうか。
写真は遥拝石ではなく単なる句碑ですが、丸い穴が開いているだけでその句や俳人を想う気持ちが伝わってきます。

石にある丸い穴の意味は、今では沢山あります。
価値の証、通じる道、天照皇大神、神聖、それらが合わさって大切な想いがそこに込められているのです。
今と違って昔は、石に穴を開けるのも大変だったと思います。
それでも綺麗な丸い穴を開けるのですから、そこに人々の想いが無いわけがありません。
もしもどこかで丸い穴の開いた石を見つけたら、そこにある大切な想いを考えて感じるようにすると良いかもしれませんね。

2017年5月17日水曜日

【神社ブログ】神社に行くと時々見かける神馬 何の為に馬があり何故馬なのか?

神社に行くと時々見かけます。
神馬です。

中島惣社の神馬

神馬って一体何なんでしょうね。
そして何故神社に置かれているのでしょうか。

まず神馬の読み方ですが、『じんめ』と言います。
この時点でかなり馬が神社にいる理由が想像できますね。
文字通り理解すれば神様の馬、という事になりますが、昔の言葉には裏の意味というのが大抵あります。
別の漢字を当てはめるとすぐに分かると思います。

『人女』or『神女』

これでも『じんめ』と読めますね。
古事記なんかを見ていても分かる通り、名前に『め』が入るのが女性というのは、古い日本語に伝統的にみられるものです。

つまり、神様への献上物として人の女性を奉納する訳にはいきませんから、同じ『め』の音を持っている馬を奉納したのではないでしょうか。

もちろん神様が乗る神聖な動物という意味がメインであるとは思います。
でも神様に馬を奉納するとして、乗る神様はおそらく男性ですよね。
昔は女性も馬に乗って戦っていたりしたのでしょうか。

戦勝祈願として、或いは雨を願うなら黒馬、晴れを願うなら白馬という話もあります。
この写真は中島惣社にある神馬ですが、黒という事は雨を願っているものと思われます。
元々稲荷神社ですから豊作を祈願するわけで、良い雨を願って奉納されたのかもしれませんね。

神社にあるものは、何を見ても疑問を持てば想像の世界が広がります。
神社巡り、楽しいですよ。

2017年5月16日火曜日

【神社ブログ】神社社殿、主に本殿の上についている鰹木に意味はあるのか?数の違いは何故?アマテラスちゃんはやっぱり女神だった!

本殿や祠でよく見かけるのが鰹木です。
屋根に並んで付いている砲門のようなやつです。
なんだか格好いいので、たくさんついていると守りは万全と言いたくなります。

そんな鰹木ですが、社殿によって数が違いますよね。
どうして違うのでしょうか。
そしてそもそも何故付けられているのか疑問に思いました。


今日はそれを今から調べようと思います。
何も無ければ即終了のブログです。{笑}

まず鰹木とは何かと調べたら‥‥
『神社・宮殿の棟木(むなぎ)の上に飾りとして、棟木と直角の方向に横たえ並べた丸太。形がかつお節に似ている。』
だそうです。
しかし漢字で『勝男木』とも書くわけで、それだけの意味じゃないですよね?

本来は建物の補強の為だったと言われているらしいですが、補強になりますか?

ウィキペディアには、 千木についても書かれていますが、男神と女神を表しているという説もあるようです。
千木の場合は、先が雄雌の形になっていますよね。
鰹木は数によって、奇数が陽数で男神、偶数が陰数で女神となっているようです。

ただし当然例外も多々見られるようで、伊勢神宮は両方女神とされていながらも、外宮は男神の造りになっているようです。
アマテラスちゃんは当然女神ですからそのままですが、豊受さんも女神でしたよね。
まあ男神的要素があったからだとか言われたりもしているようですが。

さてこれで大体鰹木の意味は分かりましたが、別の事を調べたくなりました。
アマテラスちゃんにはそもそも性別は無かったというのが定説ですが、男性として扱われていたという話をする人もいます。
それはどうなのかって話です。
そこで少し式年遷宮を調べてみる事にしました。
式年遷宮が始まる前から、少なくとも天照皇大神は女性とされていたって事ですからね。

式年遷宮は西暦690年から始まったようで、少なくともこれまでには女神となっていたと言えます。
古事記や日本書紀を読んでも女神と理解する方が自然で、これ以降に男性ではないかという説が出てきているのは間違いと考えられます。
神仏習合時に男神とした方が都合が良かった所もあるようで、おそらく女神で間違いないでしょう。

そんなわけで日本のトップは2000年以上女性だという事ですよ。

2017年5月15日月曜日

【神社ブログ】中島惣社?惣社って何よ?分からないから調べてみた!

中島惣社の写真を見ていて思いました。
『良いなぁ~此処の人達は聖地に住んでるよ!』




第一の鳥居から境内まで凄く長い参道があります。
途中は完全に普通の民家ですが、鳥居の内側が聖地であると考えると、聖地にある家となるわけです。

こんな所に住みたい!

私はそう思ったわけです。
はいそれで話は終了~のはずでしたが、この神社の名前が気になりました。

『中島惣社』‥‥惣社?

調べてみると惣社とは、『特定の地域内の祭神を集めて合祀した神社』とありました。
簡単に今の感覚で言うと‥‥
中央の役員が地方に赴任した場合、その土地の神社を回る必要がありました。
でも面倒なので一ヶ所に神様を集めて一回で終わらせようとつくられたのが惣社です。
一度惣社は廃れましたが、再興されたりしているみたいですね。

惣社には、国の惣社以外にも大小さまざまな理由で存在しているものがあるようです。

では中島惣社はどんな感じでしょうか。
国の惣社というわけではなさそうです。
摂津国の惣社は難波神社という説がありますし、中島惣社ではなさそうですね。

中島惣社は、元々稲荷神社だったようです。
拝殿に朱色が使われているのはその為でしょうか。
明治には郷社と定められていますから、地域の惣社と言えそうです。
主祭神は稲荷神社を思わせるもので、相殿として『菅原道真』『天照皇大神』『素盞烏尊』『応神天皇』など有名所が揃っています。

なるほど惣社とはこんな感じなんですね。

ところで主祭神の保食神を調べていてちょっと感動しました。
天照皇大神と月読命が一緒に出ないのは天照皇大神が怒ったからなんですね。
でもよく見ると一緒の時間に出ている事もあるわけで、今では仲直りしているようです。

最後に、『近所に中島惣社が欲しい』です!

2017年5月14日日曜日

【神社ブログ】村社柴島神社の神紋は橘紋!もしかして八幡宮系の神社ですか?干支の意味を初めて知る!

神社ブログは主に、既にアップしている前に撮った写真を見て気が付いた事について書く事が多いです。
理由は特にネタが無く書くこともないので、写真を見ながら探しているわけです。{苦笑}

だから特に面白い話でもないんですが、こういう事が私にとっては面白いんですよね。
自己満足ブログです。


柴島神社の写真を見ておりました。
すると‥‥


丁酉?ていゆう?ひのととり?
調べてみると面白いですね。
というか干支ってそういう意味だったのですね。{汗}

干支とは、十干と十二支を合わせて干支と言うんですか。
十二支は皆さんご存知、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥、ですね。
そして十干は、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸です。
十二支が12、十干が10ですから、最小公倍数の60通りができます。
最初は甲子から始まって、両方偶数ですから、偶数番目はお互い偶数番目同士、奇数番目はお互い奇数番目同士の組み合わせにしかなりません。

1 甲子 2 乙丑 3 丙寅 4 丁卯 5 戊辰 6 己巳 7 庚午 8 辛未 9 壬申 10 癸酉 11 甲戌 12 乙亥 13 丙子 14 丁丑 15 戊寅 16 己卯 17 庚辰 18 辛巳 19 壬午 20 癸未 21 甲申 22 乙酉 23 丙戌 24 丁亥 25 戊子 26 己丑 27 庚寅 28 辛卯 29 壬辰 30 癸巳 31 甲午 32 乙未 33 丙申 34 丁酉 35 戊戌 36 己亥 37 庚子 38 辛丑 39 壬寅 40 癸卯 41 甲辰 42 乙巳 43 丙午 44 丁未 45 戊申 46 己酉 47 庚戌 48 辛亥 49 壬子 50 癸丑 51 甲寅 52 乙卯 53 丙辰 54 丁巳 55 戊午 56 己未 57 庚申 58 辛酉 59 壬戌 60 癸亥

こんな感じですね。
つまり丁酉は、次にくるのは60年先というわけです。
こんな事知りませんでしたよ。

そんな事を調べた後、今度は柴島神社の神紋が気になりました。
あれ?橘紋?
橘紋と言えば八幡神社の一部で使われていました。
もしかしてこれは八幡神社関係かもしれないと思って調べてみると、やっぱり主祭神は八幡様なんですね。
他にも天照皇大神と春日大神もありますが、この神社のメインは八幡大神のようです。

このようになんとなく撮った1枚の写真から色々調べたくなり、そして色々分かるのが楽しいです。
特に神社は気になる事が多いので、これからも神社の写真は撮っていきたいですね。

2017年5月13日土曜日

【神社ブログ】日本人遊び過ぎ?!神社にある文字が読めない理由の一つ!文字に隠された想いを想像しよう!

神社に行くと思う事があります。

『字が読めねぇ~!』{笑}

そうなんです。
石碑に書いてあったりする文字がとにかく読めない事が多いのです。
単なる旧字とかなら調べればまあ分かります。
でも、『昔の日本人、完全に遊んでるだろー!』ってのが多いんですよね。
デザインと言えばデザインなんですが、こうして文字って変わっていくのだろうなって思います。


例えばこの百度石。
読めなくはないんですよ。
でも度の下側の所が突き抜けていますよね。
調べると百度石の多くで確認できるんですが、これ、どっちが正しいんですかってレベルです。
旧字を調べてもこの字はないんですよね。
神社特有、或いは石に彫る時特有の文字なのでしょうか。


続いては遥拝石。
なんだか点が多いですね。{汗}
拝は拜 という旧字らしき字は存在しますが、石に彫られている文字とは違います。
といいますか、旧字らしき文字、或いは石にある文字の方がバランスが良くていいのですが‥‥
遙は今も残る字ですが、書き方というか筆の入れ方が逆じゃないですか?
完全に遊んでますよね。


これも天満宮と読めますよ。
でも天って字は、上が長いのです。
下が長い天は普段は見ません。
しかし天満宮の社号標をざっと確認すると、むしろ下が長い天の方が普通なのです。
どういう事でしょうか。

そしてこの満という字。
滿という旧字らしき字は存在しますが、それとも違いますよね。
これは単純に石に彫れないとか、見た目が悪いってので変えたのだとは思いますが、つまりそういう理由なんでしょうか‥‥

『なんでだ?』なんて思って書き始めたブログでしたが、最後は自分で勝手に結論に至りました。{笑}
石に彫るという理由で、彫りやすい字にしているって部分、或いは見栄えを考えているのですね。

そういえば江戸文字というものも存在します。
勘亭流のような歌舞伎文字だったり、相撲文字もありますね。
こういう文字にする理由としては、お客が満員御礼になるように、文字を枠内にびっしりと書いて願うという意味もあるそうです。
神社の文字にも、もしかしたらそういう何か想いが詰まっている可能性もありますね。

文字が読めないとブーブー言っていた私ですが、ブログを書いていく中で、そこから当時の人の想いが読み取れる可能性に気が付きました。
天満宮の天の字が下長になっているのにも、何か理由や想いがあるに違いないのです。
その辺り考えるのもまた、神社の楽しみなのかもしれませんね。

2017年5月12日金曜日

【神社ブログ】「神様ちーっす!」じゃありません!家に上がる時は埃を払ってからです!社頭の鈴の意味

正しく学ぼう神社参拝。{笑}
色々調べたからといって知ったかぶりをしていてはいけませんね。
今日は参拝の際に鳴らすについてのお話です。


参拝する時、鈴を鳴らしてから手を合わせて神様とお話をしますよね。
それでこの鈴を鳴らす意味ですが、概ね大概の説明では『神様に会いにきた事を知らせる為のもの』、或いは『呼び鈴』といった感じの説明がされています。

でも調べてみると意外と本当の意味は違いそうですね。{汗}
まず名称も『鈴』と言うよりは『本坪鈴』と言った方が正確です。
まあ普通の人は普通に鈴で良いと思いますけれど。{笑}

そして鳴らす意味ですが、元々参拝者を祓い清める意味が有ったようです。
鈴の音を聞けば、『私は神聖な場所に来ているのだな』と感じますよね。
それによって心を清々しくし、神様をお迎えする心の準備をするのです。
こちらの準備ができれば、神様が降りてくるというわけです。

巫女さんが神楽舞をしますが、その時に鳴らす鈴も同じようです。
祓い清める為のものなのですね。
祓い清めた体に、神様に降りてきていただくわけです。
今では神楽舞の後に参拝者を祓い清める為に『鈴振り』が行われています。

お守りなどについている鈴も、厄除けや開運の役割があります。

鈴の音は、心穏やかに清々しく、そして綺麗な心になる事が良いのだと伝えているわけです。

こういう話をすると、神様がどうとか、信じるとか信じないとか、宗教がどうだとかいう話に持っていく人がいますが、少なくとも日本の神道、或いは神社はそういう目で見る必要がありません。
ただそこから何を学び、より良い人生をおくるのかというだけです。
私には神様がいるかいないかなんて分かりません。
ハッキリと言えるのは、神社から学ぶ事は多いなと、それだけです。
鈴の音を聞いたら、これからは自分の心を振り返るきっかけにしたいなと思います。


2017年5月11日木曜日

【神社ブログ】どうして稲荷神社の多くが大明神というのか?大明神とか大神とか調べてみた!

前々から疑問に思っていた事があります。
どうして主に稲荷神社では、『何々稲荷大明神』という風に言うのでしょうか。


印章としては、神社の名前ではなく、そこに祀られている神様の名前が書かれているという感じです。
これは一体どういう事なのでしょうかね。

調べてみると概ね『仏教の影響』という事が分かりました。
だから仏教色が強く残る稲荷神社で大明神という呼ばれ方が多いのですね。

明神は、仮の姿ではなく明らかな神様という事で明神だとか。
同じ意味の言葉に権現もあります。
仮に現れるという事で同じ意味の言葉ですが、まるで逆な気もします。

元々は大神という言葉で神様を呼んでいました。
『大蔵大臣』‥‥では無くて『天照皇大神』みたいな感じですね。
それが、仏教が日本に入ってきて仏教色が強くなっていく中で変わります。
日本の神様を仏教側目線で語るようになり、仏が仮の姿で現代に現れ明らかになったのが大明神であったり権現で有ったりするわけです。
神仏習合で上手く融合させる中で生まれた言葉というわけですね。
仏も神も同じなら上下関係はありません。

神様の呼び方だけでなく、神社には今も仏教の影響が色々と残っています。
とか焼納という言葉が残っている神社もあります。
その中の一つが大明神というわけです。

いやいや歴史って面白いですね。
過去の出来事に関して良かったか悪かったかは色々と意見が分かれる所でしょう。
でもその結果こういう事になっているというのは、知っておくべきですよね。
おそらくこれからも、世界の宗教は色々とまじりあっていく事になると思います。
そうならなければ、どれかが無くなってどれか一つが残るという結果になってしまいますから。
どういう結果になるのがいいのかは、日本の歴史、或いは世界の歴史から学べそうです。

そんなわけで、今回は大明神についてでした。

2017年5月10日水曜日

【神社ブログ】遥拝所を見るたびに想う 親から子へ子から孫へと受け継がれる日本という国

日本という国が他の国と違うと感じるのは、国民の郷土に対する愛情が強い事です。
他の国の人でもそういう感情を持っている人は沢山いるとは思いますが、日本人は異常なまでにそれが強いのです。
どうしてでしょうか。
それは、日本人がずっと力を合わせて育て上げ、受け継いできた土地だからです。
だからたとえば日本が戦場になっても、日本人は外国に逃げず守ろうとします。
他の国で戦争が有れば難民問題というものが発生しますが、日本ではあまり考えられない事です。
死ぬならこの場所でという気持ちが強いのです。

そういう気持ちを表す代表的なものが神社にあります。



私の大好きな遙拝所(遥拝所)です。{笑}

遥拝所とは、お伊勢参りに行けない人が近場の神社で済ませられるように用意した場所ですね。
ではお伊勢参りとはなんでしょうか。
天照皇大神に会いに行き、今の日本を造ってくれた事に感謝し、更に素晴らしい日本にして子孫に受け渡す約束をするわけです。
それを繰り返す事で、日本がドンドン素晴らしい国となり、日本人が豊かに暮らせる場所となっていくわけです。

ではどうして伊勢の神宮で、或いは遥拝所で天照皇大神に感謝と約束をするのでしょうか。
それは、天照皇大神が全ての日本人にとっての母だからです。
お世話になった爺ちゃん婆ちゃんの墓参りに行って、『俺、頑張るよ!』なんていうのと同じなのです。
個人にとっての両親や祖父母はそれぞれ違いますが、日本人にとって共通のご先祖様が天照皇大神と考えていいでしょう。
つまり天照皇大神大好きな私は、マザコンと言えるのかもしれません。{汗}

伊勢の神宮で、或いは遥拝所で手を合わせる事は、ご先祖様のお墓の前で手を合わせ感謝の気持ちを伝える事と変わりません。
だから人は伊勢神宮を目指し、全国各地に遥拝所が置かれているのです。
需要があるから供給もするわけです。
それだけ日本人は、ご先祖様を大切にする国民性なのです。
そうある理由は、常に素晴らしい国を受け継いで行こうと考え、事実それをやってきたからですね。

そんなわけで、遥拝所を見るたびに思うのです。
少しでも今よりも良い日本にして、日本の子供達に受け継いでいかなければならないとね。

2017年5月9日火曜日

【神社ブログ】日本語は正しく使わないといけんよ?結局この石は神様なのかそうでないのか?!

日本語というのは結構曖昧に使われています。
なんとなく使っている分には良いのですが、気になると私はこだわってしまうのですよね。
だからその辺りハッキリさせたくなるのです。

例えばよく言われるのが『ウンコカレー』と『カレーウンコ』、食べるならどちらがいいかとか‥‥
どっちも嫌ですが、食べられる可能性があるのはウンコカレーですよね。
カレーウンコは、カレーを食べて出たウンコ、或いはカレーのようなウンコ、はたまたカレー味のウンコって事です。
どれも結局ウンコなんです。
一方ウンコカレーは、ウンコでできたカレー、或いはウンコのようなカレー、はたまたウンコ味のカレーって事ですから、ウンコではない可能性もあるのです。
一応食べられるようにカレーとして調理しているわけで、まあ究極の選択ではありますが全く別物と言えるでしょう。

さて今回は、神社で気になったそれを紹介します。


こちらにお祀りされているのは黒い『石神』様でございます。


一方こちらも同じようにお祀りされておりますが、神石ですね。

はい、その違いがお分かりでしょうか。
どちらも神様ですが、石そのものが神様であるか、後天的に神様になったものかの違いがあります。
或いは神様の依代となっている石が神石ですね。

他にも神社にあるものとして、石標と標石では意味が違ってきます。
石でできた標識か、その場所を表す石かという事です。
この先100mに天満宮とか書かれている石があったら、それは石標(道標)です。
天満宮跡地と書かれた石があれば、それは標石となるのです。
まあこの辺りは結構曖昧で、例えば道標石と言われれば、道標に使われている石という事で石標と同じ意味になります。

ただ、神石や石神、或いは標石や石標の違いは結構曖昧でも大きな問題は発生しませんが、これはまずいですよね。


これはハナニラという花ですが、葉っぱがニラのようです。
でもニラではありません。
本来ならニラハナというべきでしょうが、これは言い方の問題ではなく『ハナニラ』という名前なのです。
人間の『石神』さんが神様ではないのと同じです。
とはいえやっぱりハナニラはややこしいですよね。
しかもこれは食べたら毒がありますから最悪です。{笑}

そんなわけで、日本語はなるべく正確に使った方がいいですよね。
神社の事について調べているうちに感じました。
石神様は石の神様です。
神石は神が宿る、或いは依代となる石の事です。
日本語は正確に使っていきましょう。

2017年5月8日月曜日

【神社ブログ】神社って同じような神社が結構あるよね!大手はだいたいどんな感じになっているの?

神社を巡っていて思うのです。
『これって何処の八坂神社?』
日吉、住吉、金毘羅、戎、稲荷、天満宮、八幡、祖霊ともう被りまくりです。{笑}

中でも稲荷神社なんてどこの神社の境内でも見るし、小さな神社は歩いていれば見かけるし、会社の中にあったりもするくらいです。


朱色の鳥居と柵、そして狐が目印の神社ですね。
神仏習合色が強く残っている感じも有ってか、寺院でも見かける事があります。

こういう同じ系列というのでしょうか。
そういうのをまとめていくとどんな感じになるのか気になり、少し調べてみる事にしました。
そしたらこちらのサイトでほぼ良い感じに載っていました。
http://www.oshiete-oterasan.com/c-jinjyasyurui.html


神宮、宮、大社、神社、社の違いなんかも書かれていて良いですね。
宮が付けば天皇皇族系なんですか。
そういえば高津宮は仁徳天皇でしたよね。
他にも地域で一番大きな神社にも宮が付けられているようです。
大阪天満宮なんかがそうですかね。

さて調べていたのはそこではなくて、どの系列の神社がどんな感じであるのかって所です。

稲荷が最も多い事は知っていましたが、二万社近くあるのですね。
総本社は京都の伏見稲荷大社です。

次が八幡ですね。
一万五千社近くあり、宇佐神宮が総本社です。
八幡が一番多いと言っておられる方もいるくらいで、稲荷で規模が小さいものを除けばそうなるのかもしれません。

次が天神ですね。
一万社以上あります。
総本社はありませんが、太宰府天満宮と北野天満宮がツートップといった感じです。{笑}
分霊は北野が多いようですが歴史は大宰府の方が長く、まあそんな感じです。

続いては諏訪ですか。
リンク先では約五千七百社とあります。
長野県の諏訪大社が総本社のようですね。

そして第五位が我らがアマテラスちゃんを祀る神明です。
五千四百社ほどあるそうです。
皇大とか天祖とかも含まれます。
普通に考えれば一番多くても良い神社ですが、まあ伊勢に行くのが日本人ですから、各地に多くは必要なかったのかもしれません。

次が熊野ですか、そうですか。
確かに大きくて有名ではありますが、私の周りにないので完全に忘れていました。{笑}
熊野三山の祭神の勧請を受けた神社です。
三千三百社ほどだそうです。

続いては春日です。
三千百社と、この辺りは順位が入れ替わってもおかしくないくらいの差になってきました。
春日大社から勧請を受けた神社です。

そしてようやく来ました我らが八坂。{笑}
二千九百社ほどだそうです。
素戔嗚尊が主祭神えすね。
祇園の八坂神社が総本社だそうです。

次が白山ですか。
これは予想外と言いますか、全く想定外でした。
白山神社、行った事ありますよ。
この前も行ってきましたから。
白山比咩神社が総本社で、祭神は菊理媛神‥‥ククリですか。
あれですね、魔法陣がグルグルするやつですね。
それにイザナギとイザナミが祀られている事が多いようです。

ここから少し離されて住吉です。
二千百社ほど。
海の神様だそうです。
大阪の住吉大社が総本社のようです。
大阪人なら住吉大社推ししないとですね。{笑}
ちなみにウィキペディアには二千三百社と書かれていました。

次が日吉(山王)です。
二千社ほどあるそうです。
滋賀県の日吉大社が総本社だそうです。
関係の無い話ですが、東横線に日吉ってありますが、何か関係がありますか?

やってきました金毘羅さん。
千九百社ほどあります。
香川の金刀比羅宮が総本社です。

ランキング最後が戎です。
別にランキングにするつもりはないんですけれどね。
千五百社だそうです。
大阪に多いのか、えべっさんはもっと沢山あるのかと思っていました。
今宮戎神社が事代主神系戎の総本社、西宮神社が蛭子系の総本社だそうです。


こんな感じで、同じ系列で沢山あるのはこのくらいでしょうか。
この数は、特に良い悪いの問題ではありません。
例えば自分が生まれてくるのに誰が一番大切だったかと考えた時、日本を作ったイザナミイザナギだと考える事もできれば、自分の両親と考える事もできます。
個人にとっては、おそらくどれも同じなのです。
ただ、より多くの人から支持を得られている神様を祀る神社の数が多かったり、格式が高かったりするにすぎません。
どの神社の神様が一番偉いなどという事ではないのです。
私は単純にアマテラスちゃんが好きなだけなのです。
だから自分の好きな神社、地元の神社がどの神社であれ良いのですが、一応気になったので書いておきました。

2017年5月7日日曜日

【神社ブログ】八幡宮の神紋って左三つ巴だけじゃなかった!調べたら色々あるんです!

最近神紋にも興味がでてきて、神社ごとにどんな神紋が使われているのか、だいぶ分かるようになってきました。
だから当然、それから外れる神紋が使われていると気になるわけで、南長柄八幡宮の神紋を見て、『あれ?』っと思ったのです。



手前の御幕に描かれているのは、何処の神社でも見かけるただの朽木柄です。
壁代と言われる神社装飾用の帳です。
詳しくはこちらをどうぞ。


それで奥の御幕に描かれているこの神紋が気になりました。
八幡宮と言えば左三つ巴で、それは分かります。
ただもう一つの神紋が分かりません。
何かこの神社には違う謂れがあるのでしょうか。

それで調べてみると‥‥八幡宮でも色々と別の神紋を持った神社があるのですね。

例えば鶴岡八幡宮には鶴の紋章があります。
そしてこの南長柄八幡宮と同じ紋章を使っているのが、石清水八幡宮です。
橘紋というそうです。

ただ、やはり何処も八幡宮ですから、主祭神は応神天皇なんですよね。
特に主祭神などに違いは見られませんでした。
今日の所は、他の八幡宮との違いは見つけられませんでしたが、また色々調べていたらどこかで何かが分かるでしょう。
実は今回、朽木幕について知る事ができました。
前々から上の写真手前の幕に描かれている柄が気になっていたんですよね。
朽木柄と言って、今では何処の神社でも使われる壁代の柄として使われています。

そんなわけで、神社の歴史がまた1ページ‥‥{笑}


2017年5月6日土曜日

【神社ブログ】この灯籠なんていうの?そもそもこれって灯籠なの?調べてみた!

神社を巡る理由は色々あります。
参拝はもちろんですが、歴史的建造物を見て回るのも楽しいし、中には凄い装飾を施してあるものも見られてとにかく感動します。

私が神社巡りをしていて特に気になるのがこれです。

半菱六角型灯籠

綺麗な‥‥灯籠?ですね。{汗}
そうなんですよね。
そもそもコレの名前がハッキリと分かりません。
神社ブログなんかを書いていなければ、『ほら、神社で参拝する所に吊り下げられてる、あの綺麗な飾り?明かり?』で通用するのでしょうが、やはりちゃんと名前を書いておきたいのです。

そこで調べる事にしました。
まずは自分で命名して検索する方法から試します。
『飾り灯籠』で検索すると、雪洞や単なる綺麗な灯籠が画像検索に引っかかるのみでした。
『装飾灯籠』でも似たような結果でした。
続いて『吊り灯籠』で検索してみました。
すると中に似たようなのがヒットしているではありませんか。
ただ向拝下に付けられているような豪華なのではなく、軒下と言いますか庇の下に並べて付けられるものばかりでした。
続いて『灯籠の種類』で検索してみると、概ね石灯籠の種類が書いてあるだけで、私の知りたい情報はありませんでした。

さてどうしたものでしょうか
とりあえず今の所は『吊り灯籠』が一番近そうなので、これに新たなキーワードを付け加えて検索してみる事にしました。
『吊り灯籠 豪華』で検索すると、少し似たものがヒットしました。
画像は金色に輝くもので、金灯籠と画像に名前が付けられていました。
おそらくこれで、これらが『灯籠』であることは間違いないだろうと思い、更に検索を続けました。
『吊り灯籠 大きい』で検索すると、先ほどヒットした金色の物と同じような形で、金色ではないものが見つかりました。
調べてみると、『菱灯籠』というそうです。
その形は概ね統一されているようで、横から見たら菱形に近い形をしていました。
つまり私の写真のものとは一致しません。
ただ、これでほぼ間違いなく『灯籠』ではあるのでしょう。
それにしてもここまで画像検索でヒットしないのもおかしい気はしますけれどね。
『灯籠』や『吊り灯籠』で検索して、私の期待する画像が全くヒットしないのはなんなんでしょうか。
次に『菱灯籠』で検索しました。
するとそこに、かなり私の期待するものと一致する形のものがみつかりました。
調べてみると‥‥
『六角人天蓋照明灯(半菱)』と書かれていました。
半菱という表現は納得です。
菱灯籠の下側の部分だけって感じですからね。
ただ、なぜか灯籠ではなく照明灯となっていました。
それに『人天蓋』を調べると、人の上にかざすものとなっており、どうも仏教的な言葉のようでした。
装飾もちょっと神社には似つかわしくない気もするので更に調べると『六角半菱型灯籠』とありました。

一応この辺りが限界ですかね。
六角形で、半菱で、灯籠なわけです。
検索結果で一番良かったのが、『半菱六角型灯籠』です。

このあと画像検索も試してみましたが、全くヒットしませんでした。{汗}
画像検索って、全く同じもの以外はかなりヒットしませんよね。
もう少しグーグルさんには頑張ってもらいたいです。

そんなわけで、この灯籠の名前は『半菱六角型灯籠』ということで‥‥

2017年5月3日水曜日

【神社ブログ】社殿はどういう基準で分けられるのか?『殿』『館』『社』『所』『祠』『蔵』『庫』『舎』の違いについて

神社には大きく分けて二種類の建物があります。
社殿と呼ばれるものと、そうでないものです。

社殿を調べると、神社にある建物の総称とあります。
とは言え全ての建物を指すわけではありません。
他に神社にある殿舎となっています。
つまり『何々殿』や『何々舎』は社殿という事になり、それ以外は社殿ではない可能性があります。
しかしそんな事はありませんね。
境内神社は概ね『何々社』であったり、『祠』で有ったりします。
神社で限定すれば、祠は社の中で人が入れないような小さなものですから社の一種です。
これらも社殿に入りますから、社殿とは『社(+祠)』+『殿』+『舎』という事でしょう。
ちなみに社は神様の祀られている建物であり、殿はそれプラス神事を行う建物の中で豪華なものとなるのでしょう。


こちらは絵馬殿です。
絵馬をお祀りしておく豪華な建物で、社殿という事になります。

ではこちらはどうでしょうかね。


手水舎です。
横から見れば舎の形をしていますし、これも社殿となるのでしょう。
ただ、社殿と言うには何か色々足りない気もします。
横にある祠も社殿です。
神様がお祀りしてある小さな社ですからね。

大きな建物で言えば概ねどの神社にもある社務所は社殿ではありません。
所となっていますし、神事を執り行う場所でもありませんからね。

他、地車蔵、神輿庫も社殿ではないと思われます。
蔵と庫の違いはあまりなさそうです。
庫は車という字が入っているので、移動用の何かを入れておくと考えられますが、神輿庫は良いにしても、地車だけが何故か蔵になっているのが気になります。
むしろ地車には車輪がついているわけで、地車庫、神輿蔵と言った方がしっくりきそうです。
規模の問題ですかね。
蔵>庫、のような気がします。

殿には他に、神楽殿、参集殿、儀式殿などあります。
殿とつくので社殿になるのでしょうが、参集殿は場所によっては違う気もしますね。
神事の為にある簡単な建物は舎となります。
ただ、神馬舎って社殿に入るのかどうか気になりますね。
一応舎と言われているので社殿に入るとは思いますが、手水舎にしても入らない可能性がありそうです。

最も判断が難しいのが『館』です。
靖国神社の遊就館はどういう位置づけになるのでしょうか。
国の為に戦った人々の写真が有ったりもしますし、社殿に入りそうな気もしますがちょっと違う気もします。
そして最も分からないのが『斎館』です。


神事の為の場所なので社殿と言えそうですが、社ではないですし、殿というような豪華さはありません。
有ると逆に違いますよね。
神事の為とはいえ神事を行う前に準備する場所ですから、社務所なんかと同じような扱いの気もします。
一応現在の私の判断としては『社殿ではない』という事にしていますが、はたしてどうでしょうか。

このように色々ややこしいです。
建物、或いは施設と言っている方が簡単なんでしょうね。
でもせっかく神社の話をしているのだから、神社にある言葉を使いたいのです。
とりあえずここでの結論としては、社殿は『社、殿、祠』、違うのは『館、所、蔵、庫』、曖昧なのが『舎』という事です。
私は『舎』も社殿としています。
概ね神事に関係する規模の小さい建物ですが、人は入れて完全な閉鎖空間ではないものだと認識しています。

最後に結婚式場や披露宴会場というものについても少し。
これは儀式殿と言い換えられるので、社殿かと思います。
結婚は神前の儀式ですよね。

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