今日も特にネタはありません。{苦笑}
昨日の話は久しぶりに気が付いた新しい事だったんですよね。
今日のも気が付いた話ではありますが、昨日程の驚きは有りませんでした。
生國魂神社、最初は生國神社だと思っていました。
特に理由はありませんが、なんか名前として変わってますからね。
そして印象はこの写真の通りでした。
鳥居の上の鳥、ずっととまってたんですよね‥‥
そこではありません。{汗}
提灯を見れば分かる通り、神紋として菊紋が描かれています。
他にも色々な所で菊紋が目立つ神社だったので、なるほどそういう神社なのだなと思っていたわけです。
たとえば主祭神が天皇か天照皇大神と言った所ですね。
ところが別の所で違う神紋を見つけました。
此処です。
見えませんよね。{汗}
手水舎の鬼板の部分です。
拡大しますと‥‥
左三つ巴は良いとしても‥‥
橘紋!
左三つ巴と橘紋と言えば、石清水八幡宮ですね。
まさか八幡宮系の神社だったのですか。
早速調べてみました。
全く分かりません。
天皇の統治国を司る神という事で、どちらかというと菊紋の方がしっくりきますね。
では八幡宮との関係はどういったものがあるのでしょうか。
大阪城の南にあるという事で、城方向八幡宮(きたむきはちまんぐう)が摂末社に置かれましたね。
鳥居前の蓮池附近に鎮座していたらしく、おそらく写真に近い位置にあったのでしょう。
その名残でしょうか。
まあ全然違いましたけれどね。{苦笑}
北側の入り口、朱色の冠木門の方に置かれている灯籠にも橘紋と左三つ巴紋がありました。
だから普通にこれがこの神社の神紋ではあるようです。
ネット上にもお守りの写真がアップされており、そこには橘紋と左三つ巴紋が描かれていました。
私の予想では、大阪城の守護神として八幡様が来た時にこの神紋にしたのではないかと考えています。
全く当たっている自信はありません。{笑}
それにしても面白いですよね。
神文一つどうやって決まったか分からない神社もあるわけです。
※情報がネット上に見当たらないという意味で。
おそらく全ての神社に、このように情報が出回っていない歴史があるんですよ。
気になりますよね。
こういう事を考えて楽しめていると、本当に歴史の長い日本に生まれて良かったと感じます。