秋華神社御旅所へようこそ初めての方はこちらをクリックしてご確認ください!
告知秋華神社表門 秋華のサイトを利用する前に注意事項の確認をお願いします!
告知神社施設名称用語辞典 神社にある色々なものの名前を調べて写真付きでまとめました!
告知神社用語集No.1No.2No.3 神社にあるものの写真から名前を調べられます!

2017年5月26日金曜日

【神社ブログ】露天神社『通称:お初天神』から分かる日本の神様 神社神道はこうやって時代の中にあった

神社は長い日本の歴史の中で、色々と形を変えてきました。
神仏習合があり、力を失っていた時期があり、神仏分離で復活し、そして今のような形となっています。
だからどの神社にもそれなりの歴史があり、詳しく調べればそれなりに興味深い話もあるでしょう。

そんな話の中から、今日は露天神社という神社の話をしたいと思います。
これが日本の神社、そして神道なんだろうなと感じたからです。
正直な所、そんなに詳しく調べたわけでもなく、いくつかの出来事や状況から私が想像したものにすぎませんが、でも多分これが神社の本質なんだろうなと思えるんじゃないでしょうか。


露天神社って面白い神社なんです。
まずその名前から考えてみましょう。
天神社ですから菅原道真を祀っているのは間違いないはずです。
でも何故かこの神社に行った人、或いは参拝者にとっては目的が違うようなのです。
菅原道真は学問の神様ですが、露天神社に行く人というのは『縁結びの神様がいる所』という事で参拝します。
どうしてでしょうね。

それは通称である『お初天神』という所に答えがあります。

何故お初天神と呼ばれるのでしょうか。
何故お初天神と呼ばれているかは、露天神社のホームページをご覧ください。{笑}
簡単に言いますと、露天神社(天神の森)を舞台に、ある男女が情死しました。
それを近松門左衛門が『曽根崎心中』へと劇化したわけです。
それが当時の人々の間で大人気となり、聖地である露天神社に参拝に来る人が大勢押しかけてきたわけですね。
これはお初と徳兵衛の美しい恋の話な訳ですが、気が付けば二人は神と崇められ、露天神社はお初天神(お初の名前が入れられた)となり、恋愛成就、縁結びの神様がいる神社となったわけです。


『えっ?そんな事で神様になっちゃうの?』なんて思うかもしれません。
しかしこうやって神様が生まれるのが日本という国なのです。

この状況を分かりやすい話で例えると、 アニメ『らき☆すた』人気で有名になった鷲宮神社が、オタクの聖地となった事を見れば理解できるのではないでしょうか。
登場人物の名前が、かがみだったりみゆきだったりと神社と繋がりのある名前になっているのも良いですね。
もしかしたらこの先、この登場人物は神として鷲宮神社にお祀りされる可能性もありますよ。
或いは作者とかね。

AKB48の神セブンだって、既に神と言われているわけです。
AKBのファンだった世代が老後の生活を送るようになった時、もしかしたら秋葉原に神社を造って神セブンを祀ろうなんて話になるかもしれません。
秋葉原の何処かの神社で祀られる事になるかもしれません。
実際に露天神社はお初天神と呼ばれるようになり、お初と徳兵衛は神となっているのですから。
日本には『神対応』というものもあり、これによって神セブンが本当に神になる日も無いとは言えないのです。

日本では、その人にとって良い人良いモノが、誰でも何でも神となる文化があるのです。
露天神社はそれが見える形で残っている神社というわけですね。

そんなわけで露天神社から、日本の神様がどういうものなのかが少し見えたと思います。
でも露天神社にはまだ他にも面白い所があるので紹介します。

それは神紋です。


神紋と言うよりは、何故このような神紋になったのかという部分です。
お初天神と呼ばれるようになっとはいえ、ここはなんといっても菅原道真を祀る天神さんです。
天神さんの神紋と言えば梅紋と決まっています。
でも何故か露天神社の神紋は違うのです。
菊に右三つ巴紋なんですね。
どうしてでしょうか。

単純に、元々は露天神社では無かったと言ってしまえばそれまでです。{苦笑}
ウェブサイトの説明によれば、昌泰4年(901年)2月に菅公が詠んだ『露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出ずれば』という歌にちなんで露天神社となったそうです。
菅公が合祀されたのは元和8年(1622年)3月ですから、そう呼ばれるようになったのはここからかもしれません。
つまりそれ以前は違う神社だったのです。
※それ以前から『曽根崎天神』と呼ばれていた可能性有り
しかしそれ以前におそらく祀られていたであろう少彦名大神や大巳貴大神の神紋とは違います。
少彦名神社は左三つ巴、出雲大社は亀甲紋と剣花菱ですね。

では何故今露天神社は菊に右三つ巴紋なのでしょうか。

それは境外にある夕日神明社碑を見て気が付きました。


既に元々は少彦名大神や大巳貴大神と言っている通り、天照皇大神や豊受姫大神は後から合祀されたわけです。
調べると夕日神明社(難波神明社)から合祀されたのは明治43年の事で最近なのですね。
あくまで私の想像ですが、ここでおそらく神紋が今のものに決まったのではないでしょうか。
大國主(大巳貴大神)は国譲りをした神様ですから、ここでも神紋を譲ったのです。
天照皇大神や豊受姫大神と言えば伊勢神宮ですから『花菱紋』、或いは『菊紋』となるわけです。
そこに国譲りをしていない少彦名大神の三つ巴紋が残った形です。
ただし逆の形ではありますがね。

まあ少彦名大神が祀られている天神さんも多く、一緒に考えられている所があるのかもしれません。
それゆえに菊と三つ巴紋という形になった可能性も考えられます。

菅原道真が祀られている神社は概ね天神さんと呼ばれるのでしょう。
だから正式な神社名は露天神社です。
しかしその色は縁結びの神様になっているので通称お初天神です。
そして祭神の格というと少し違うかもしれませんが、順当に天照皇大神に敬意を表す形で神紋は菊に三つ巴となったのではないでしょうか。
色々な所に配慮が見える、とても日本人らしい神社に感じます。

神社の歴史って面白いですね。
そして日本の神様に対する考え、何かを崇める時の軽さは素敵です。
すぐに何にでも敬意を払い尊敬できるのは良い文化だと思いますよ。
こんな文化を、我々日本人は何時までも大切にしていきたいと思いますね。


管理者:秋華Twitter   秋華エントランス   サイト説明

秋華神社-秋華エントランス-